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老いボレじじいのボヤ記

老い耄れ爺の悲喜交々、涙と感動の人生

学なし! 職なし! 金もなし! だけど、余生に夢は持つ!!

ここに集う関西人よ、恥を知れ!!

 ここに集まる妨害活動をしている連中は、言葉からすると

関西圏の人間だ。

ヘリパッド建設にシノギを掛けている連中だろう。言わば、

       「雇用活動家」

コヤツ達の金主は・・・??? 

この外道たちが行っている行為は、同和対策事業特別措置法を盾に部落解放同盟が

行った人格破壊を狙う糾弾という集団での暴力行為(集団リンチ)と同じだ。

恐らく、この外道達の中に部落解放同盟の人間が紛れ込み糾弾の指揮の元で悪行を

繰り返しているが、如何せん、コヤツ達には犯罪意識は微塵もないのである。

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しかし、この行為は刑法220条による監禁罪に・・・

 監禁罪

暴行、脅迫、その他の方法で、人をある場所から出られないように(出ることが困難な状況も含む)することで成立する罪です。

暴行や脅迫だけでなく、

  • 一室にカギを外からかけて閉じこめること
  • 車に同乗させ、スピードを出し降りれなくすること
  • 女性の衣服を持ち出し、その室から出られなくすること
  • 逃げたら殺すと言って逃げられなくすること

など様々な場合・状況によっても成立

逮捕・監禁を目的に行われた暴行・脅迫は、この逮捕・監禁罪に含まれるが、

監禁中にむやみに受けた暴行・脅迫は、別に暴行罪脅迫罪として成立し

また、ケガをさせれば、傷害罪が成立する。

これは、逮捕監禁致死傷罪とは異なる。

 この山城と言う異常者の暴挙。集団で取り囲み身柄を拘束し、

自由を奪い逃げだせない状態を継続する。その中で弁明の機会を提供する振りをし

揚げ足を取る。そして、更に恫喝し精神的に追い込むのである。

www.youtube.com 3

 

 糾弾と言う行動について・・・

「何を、どう糾弾するか」(部落解放同盟中央本部編:1991年)より

 糾弾における留意事項
①糾弾会に入る前に組織の指導者間の意志統一をしておかなければなりません。糾弾会に参加した部落大衆と共闘関係の人たちにたいしても糾弾闘争全体のスケジュールとか「糾弾」の目的などをあらかじめ説明し、われわれの側の意志統一をしておくことが必要です。

②糾弾会には"指導者(進行係または司会者)"をたてて糾弾会全体の進行を円滑にさせ、糾弾会を正しい方向に展開できるようにしなければなりません。たとえば、糾弾会がこじれた場合や論議が高まって長時間になる状況がみえてきた場合には「どの点を追求していくか」「きょうの糾弾会では、どこまでやって打ち切るか、続けるか」「その日の糾弾会ではどこを重点的に問題にするか」などについて参加者全員がわかるように説明し、組織的な糾弾が展開されるよう考慮することが大切です。
 また、糾弾会を指導する幹部は、いかなることがあっても差別者にたいする"感情的な怒り"におぼれることなく、その状況を冷静に判断し、発言の内容を分析して事態に対処していかなければなりません。とくに、つねに糾弾闘争における次の段階をいかに展開するかということを考えていく必要があります。

③糾弾会は差別事件を引き起こした差別者を糾弾する場所ではありますが、差別者の言い分も十分に聞くべきです。それは、ただたんに、世間一般に言われているように「差別者の人権も守れ」という意味ではありません。
 相手の言い分を聞かずに一方的に追求すると差別者は言い逃れをはじめたり、差別的言動そのものを否定したりすることもあります。また逆に「いくら言いわけをして抵抗してもダメだ」と思い込み、口先だけで「すみませんでした」「悪うございました」「反省しています」「筋道を理解した」と言えば糾弾は終わるだろうと考える人も出てきます。
 したがって、差別者の言いわけも十分に聞き、その発言のなかで差別者なりの"差別の論理"を展開させることによって差別者の意図を明確にし、差別者のおかれている社会的立場も明らかにさせることも考えておかなければなりません。

④糾弾会には揶揄や恫喝はいっさい不要です。これでは正しい「糾弾」ができるものではありません。水平社が部落解放運動にたちあがった初期のころには、「ヨツ」「エッタ」「チョウリンボウ」「特殊部落」など"差別はやり放題"といった世相がありました。この時代には、部落大衆が、その差別に抗議しても「エタにエタと言って何が悪いのか」と開き直り、誰もが部落問題など真剣に考えませんでした。
 しかし、今日、われわれは「糾弾は教育である」と位置づけ、差別意識をなくすことによって人間的な変革を求める闘いであると位置づけています。それゆえに差別者の論理と我々の論理との闘いであり、イデオロギー闘争なのです。
 そういう糾弾においては、暴力や揶揄・恫喝によってはイデオロギー闘争に勝てるはずもありませんし、相手に人間的な変革を求めることも不可能です。糾弾は冷静に、組織的に整然と行なわなければなりません。
 揶揄や恫喝は、どうして飛び出してくるのか――その背景を考えると、差別者を説得する理論と力量が不足しているか、理論はもっているが説得する意欲が消失している時に揶揄や恫喝という現象になっているということに気づかされます。簡単に言えば、相手を説き伏せるための自分自身の力が不足しているということの証明でもあるのです。

⑤糾弾会では追及する側と追及される側との意見が食い違い、論議がすれ違いとなって、時には膠着状態になることがあります。そうした場合には糾弾会を一時中止して休憩に入るのも一つの方法です。この間に今後の方向を協議するとともに、差別事件を起こした相手にたいしては、同席している行政機関の人などから、これまでの論議の整理と指導をするように要請すると糾弾会は円滑にすすむこともあります。