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老いボレじじいのボヤ記

老い耄れ爺の悲喜交々、涙と感動の人生

学なし! 職なし! 金もなし! だけど、余生に夢は持つ!!

生まれ変わった気持でも、やっぱり舛添だろ!!

潔の悪い舛添・・・

同じ言葉を繰り返すだけの謝罪

本来、この桝添君は詐欺師の資質を持ち合わせているのであろうか?

領収書は何でもかんでも政治活動名目で発行させて収支報告書に記載する。

 

失態を責める野党の常套句の・・・任命責任

ならば、こんなとんでもない男を選んだ有権者に責任は?

国民の政治参加

1863年、エーブラハム・リンカーンの演説の一節に

Government of the people, by the people, for the people,

shall not perish from the earth.

この言葉はあまりにも有名だが、現在の日本に於いてこの文言はただ単に

政党の議席数を増やすがための政治参画の呼びかけに過ぎず党を押して、

芸能人や著名人を擁立するのはそこにある。

選挙権年齢を「20歳以上」から「18歳以上」に引き下げ日本の未来を

作り担う存在である10代にもより政治に参画してもらいたいとのことで、

より早く選挙権を持つことにより、社会の担い手であるという意識を若い

うちから持ち、主体的に政治に関わる若者を増やすことにあるらしい。

 これは、若者の投票率が低くなると、若者の声が政治に届きにくくなる

というのが主因である。選挙では、殆んどの有権者が「公約の内容」や、

「政治能力の有無」を独自の目線で判断し投票しているのであろうが、公約の

実行性や立候補者の人格をどれ程に理解し投票しているのか? そもそも公約

などという物は、如何に多くの有権者が喰い付く餌を選択し出来もしない机上

の空論に信憑性を持たし釣り揚げる手段に過ぎない。今の日本に必要なのは

真の政治家である。だが、残念ながら真の“政治家”と呼べる人間が殆んど居ない

ことだろう。

“政治家”の資質 とは何かを考えると、正義と義理、そして社会を愛して信頼され

ていることではないかと思う。もちろん前提は自身の生命力があることなのがだ。

しかし、その人物と繋がりを持たない人間にとっては、立候補者の政治家としての

資質を見極める事などできようもない。だからこそ、立候補者は適当な公約で有権

者を翻弄し操り当選へと導くのだ。その結果として、舛添の様なとんでもない政治

家が誕生する。然るべきである…

選挙で大切なのは、本当にその候補者は国民のために働いてくれる人間なのか?

しかし、実際にはその様な人間はほんの一握りであり、大多数は自分のため私利

私欲だけである。メリットがあると思うから“政治家”になるのだ。

“政治家”は3日やったらやめられない。